「last eden」




私の手を肉の落ちた掌が震えながら握る。
「もう一度握ってみて下さい。そう、ゆっくり・・・」
神経は少しずつ繋がり、運動機能を取り戻しつつある。
忍としての道は絶たれたが、新たな人生が目の前の青年には開かれている。
「良くなっていますね。でも、あまり頑張りすぎては駄目ですよ。過ぎるリハビリは逆効果になりますから」
「はい、春野特別上忍。わざわざ訪ねていただいてありがとうございます」
布団の上に横臥する青年の脇にはその恋人が付き添っており、膝をそろえて私に頭を下げた。
きっとこれから二人はお互いを支えあって生きていくのだろう。
どんな姿になっても自分の存在を認めてくれる人間がいるという事は、何にも変え難い幸福ではないだろうか。
私は二人を素直に羨ましいと思った。
「それでは、一ヵ月後にまた来ますね。何かあれば連絡を下さい」
見送りを断わって、その家を後にした。


その年の春、私は特別上忍に昇格した。
五代目火影に師事し私は医療忍の道を選んだ。
身体の傷ならばそれなりの知識があれば誰でも癒す事ができる。
しかし、厄介なのは目に見えない心の傷だ。
任務の怪我が元で身体に障害を負い、一線を退いた忍や民間人に戻った忍の身体と心のケアを私は任務の合い間に請負っていた。
でもこちらから歩み寄ろうとしても、心を閉ざしたまま一人で生きていく者もいる。
人の心はむずかしい。
激しく拒絶されて気落ちする度に、五代目は私を諭す。


人の心は難しいだろう?
でも、諦めてはいけないよ。
どちらかが諦めなければ、人との繋がりは絶対に切れやしないんだから。



今まで私は泣くばかりで、手を差し伸べる事を最初から諦めていた。
だから二度と諦めないと私は心に決めた。
あの時、私がなりふり構わずに縋ればまた違った未来があったのかもしれない。
もう、六年も前の話だ。
慰霊碑に刻まれた、かつての上官と恩師の名前を指先でなぞる。
くっきりと刻まれたその名は六年ほどの歳月では全く風化する事が無い。

イルカ先生は花の似合う人だった。
決して線が細いわけでもなく、男らしい容姿をしていたけれど。
いつも笑顔でアカデミーの花壇に水撒きをしていた。
子供達が野で摘んできた名も無い花を、零れんばかりの笑顔で喜び受け取っていた。
「先生、今年最初の秋桜よ・・・」
石碑の上に秋桜をそっと置いたとき、背後に人の気配がした。
わざと気配を消さずに、でも、少し遠慮がちにその気配は近付いてくる。
「サクラちゃん」
「帰ってたのね、ナルト」
振り向くと、里の標準服に身を包んだ、今ではすっかり私の背を追い越したナルトが立っていた。
「任務、お疲れさま」
「あ、うん。あ・・・」
ナルトが石碑の秋桜に気付いた。ナルトの手にも秋桜の花束が抱えられていた。
ふ、と私の頬は緩む。
ナルトにとって、特にイルカ先生は特別な存在だった。それは今でも。
そして、忍となって初めて師事したカカシ先生の事を、私もナルトも一生忘れる事は無いだろう。
「私の花はカカシ先生にあげるわ。ナルトの分はイルカ先生に」
「・・・うん」
青い空色の瞳が優しく細められる。
ナルトの笑顔は、6年前を境に寂しげな大人びたものになった。
大きな身体を折り曲げてナルトは神妙に慰霊碑に向かい手を合わせる。
私もナルトの隣で二人を想って手を合わせた。





ナルトは二年前に上忍になっていた。
今では里外の任務を請負う事が多く、こうして里で会うのも久しぶりだ。
「ナルト、しばらく里にいられるの?」
「んー、三日後にまた里外の任務が入ってんだ」
ナルトは上忍になってから、階級もどんどんと駆け足で上がっていく。
ナルトを指名する任務は途切れる事が無く、すっかり外回りの忍として板についていた。
「相変らず忙しいのね。師匠に会っていったら?」
「うん!綱手のばあちゃん、元気?」
「お変わりないわよ。まだ執務室にいらっしゃると思うわ」
「そっか、サンキュ!」
ナルトは言うなり火影岩に向かって駆け出した。
大人びた部分もあるけれど、ナルトはナルトだ。
どんなに忙しくても、ナルトは二人の命日には必ず時間を作って里に帰ってくる。
ナルトの変わらない部分に触れると私は何となくホッとする。
ナルトのどんどん小さくなる姿を私はゆっくりと追いかけた。

五代目の執務室に入るとナルトの姿は無く、五代目が一人、膨大な量の書類と格闘していた。
「師匠、ナルトはもう帰ったんですか?」
「ああ、お前が来るまで待っていろと言ったんだがな。全く落ち着きの無い。お前達も積もる話もあったろうに」
「私たちは、いいんです」
「ふふ、餓鬼の頃はお前の尻ばかり追い掛け回していたのにな」
五代目の言葉に私は思わず苦笑した。
「子供の頃の話です」
「・・・・人は変わるものだからな」
五代目はどこか遠くを見るような顔つきで押し黙ってしまった。
こういう時は、五代目は自分が想像もつかないような事を考えている。
それが不意をつくように私に与えられる課題や修行であったりもする。
私はじっと五代目が口を開くのを待った。
「サクラ、ついて来い」
ふいと五代目が立ち上がる。
五代目が壁一面に備え付けられた本棚に軽く触れると、本棚は中心から音も無く左右に開いた。
地下に通じる階段が現れる。
話には聞いた事があったけれど、実際に目にするのは初めてだ。
この階段の先には火影しか扱えない毒薬、禁薬が所狭しと置かれた部屋があるはずだ。
「そう緊張するな。鬼が潜んでいるわけでもない。私の私室だ」
ギイと軋む音をさせて厚い扉が内側に開かれた。
フワリと長年閉じ込められていた薬草や薬品の濃い匂いが鼻に届く。
「あ・・・」
小さく声を漏らしたきり、私はその場から動けなくなった。
部屋の中央のテーブルの上に無造作に置かれた、小さなガラスで出来た円柱。
その中にはホルマリンの液体に浸された、赤い眼球が一つ。
「カカシの写輪眼だ」
五代目は私の目が届かない棚の奥にホルマリンの容器をしまった。
下忍の頃に、私たちは何度もあの赤い目に助けてもらった。
六年前、カカシ先生の身体からは写輪眼が眼軸ごと摘出されて、その後は骨も残らないように戦地で荼毘に付された。
イルカ先生に至っては行方知れずのまま、遺品は何も残らなかった。
摘出された写輪眼の適合体はみつからなかった。
写輪眼の使い手は、サスケ君を除いて里にはいなくなった。
「恨んでいるか?」
「え・・・」
「カカシを恨んでいるのか?」
どういうことだろう。
置き去りにされて、あっという間に逝ってしまった事をだろうか。
私は静かに首を振った。
「先生にも、色々あったのだと思います」
最後に会った二人の様子は目に焼き付いている。
私はこの事を誰にも言った事は無い。
あの頃のイルカ先生は、日に日に心身が衰弱していくようだった。
それでもアカデミーの生徒や私達7班の前では屈託ない笑みを見せていた。
私はその笑みが多大な努力の上にあるものだと気付いてしまった。
そして、不自然に、急激に自分の上官がイルカ先生に近付いている事を知った。
イルカ先生が辛そうにしている原因は、カカシ先生から暴行を受けているためだと思った。
実際にイルカ先生の身体の上には服の下に隠し切れない傷が無数にあった。
敬愛する上官が階級を盾に自分の恩師に無体を働いているのだと。
ショックだった。
けれど、私と目の前の二人は同じ場所にいながら別の世界にいるようだった。
カカシ先生は壊れ物のように優しくイルカ先生を抱き上げた。
イルカ先生を見下ろすカカシ先生の目は慈愛に溢れていた。
カカシ先生の腕の中でイルカ先生は安堵の表情を浮かべていた。
二人の間に流れる空気はとても穏やかだった。
どう考えても二人は好き合っていた。
どうして、大切に思う相手をカカシ先生は傷付けるのか。
どうして、傷付けられてもイルカ先生はカカシ先生から離れなかったのか。
二人はもう居ない。
私の中に残された疑問は一生消える事はない。



かさりと私の手に白い紙袋が押し付けられた。
「お得意さんでね。年に一回私が薬を届けている。サクラ、今回はお前が届けてきてくれるか」
「私などが、いいのですか」
火影が直々に薬を届けるなど、よほど里にとって重要人物に違いない。
「なに、一般人に戻った忍の一人さ。患者に直接手渡すのもよし、庭先に置いてくるだけでもいい。会うかどうかはお前に任せる」
袋の中には抗うつ剤が入っている。
特殊な調合で、効き目が強く、その割に副作用が少ない。
掌に乗る量が一年分という事は、この患者はだいぶ症状が落ち着いてきているのだろう。
「サクラ、六年前の憂いを断ち切って来い」
心臓が凍りつくかと思った。
何故カカシ先生の写輪眼を私に見せたのか。
何故火影が直々に、一介の元忍に長い間薬を届け続けているのか。
五代目は、誰の元に私を向かわせようとしているのか。
よく考えなければ。
これらの事には必ず意味があるのだ。
しかし、臆してしまい、患者の名前を私は聞く事が出来ない。
「ナルトと一緒に・・・」
「サクラ、まずはお前が一人で行ってくるんだよ。その後は好きにすればいい」
「命令、ですか・・・・」
「いや宿題さ。宿題は一人で片付けるもんだろ?」
クシャクシャと、久しぶりに五代目は私の髪の毛をかき回した。
「怖いことは無いよ。行っておいで」
五代目はニッと、小気味良く片側の口角だけを吊り上げた。



かなり強引に五代目から背中を押され私は執務室を後にした。
私は心細くて仕方がなく、ナルトの姿を探した。
里に帰ってきたナルトが立ち寄る所はそう多くない。
「ナルト!」
「んぁ?」
ナルトが頬をいっぱいに膨らませて振り返る。
ナルトと一緒に一楽でラーメンを食べていたシカマルも同時に私を振り返る。
ナルトの姿を認めただけで乱れていた心が少し落ち着いた。
「・・・・ナルト、私が帰るまで絶対に里にいてね」
「うん・・・?うん」
訳もわからずナルトが頷く。
まだ、話せない。真実を確かめていない。
「行ってくるから」
不思議そうに呆けるナルトとシカマルをそのままに、私は宿題を片付けるために里の大門に向かった。
日は頭上にまだ高く上がっていた。





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